研修病院には、勉強する時間が足りないこと、仲間が少ないこと、交流がないことが決定的な問題です。
研修病院は大学の医局よりさらに交流がないのです。
医療に進歩、変化が求められるかぎり、能力を向上させるための交流、すなわち、人事異動制度を研修制度に組み込むべきです。
これは個々の病院だけでできることではありません。
医師の育成には病院間、大学間、あるいは一般病院と大学間の協力がどうしても必要です。
少なくとも、大学病院の病棟医長に就任する医師は、世の中で求められている水準がどの程度なのかを認識する義務があると思います。
大学病院はエリートを、医局と関係のない水準の高い病院に武者修行に出すべきではないでしょうか。
指導者について少し触れます。
私は、指導者が厳密な教育カリキュラムに従って手取り足取り教えるのは、医学の進歩にとって有害になりうると思っています。
指導者の役割は、ロールモデルとして若い医師の目標になること、システムと基本的な思想を適切に保つことです。
教育システムはあまり押し付けになってはいけません。
厳密でかゆいところまで行き届いた教育システムは、よろしくない。
自発性を尊重すべLという意味ではなく、教育する側に問題があることがしばしばあるからです。
私自身、手術は、他科の手術をみながらほぼ独学で学びました。
当時の泌尿器科の手術の水準に失望していたので、医局での教育を受けたくなかった。
このため、大学病院には最初の一年しかいませんでした。
一般的な話ですが、無能な人間が権力を持ち、しかも勤勉だとひどく有害です。
無能な権力者は、せめて怠惰であってほしい。
それと同じで、教育する側に問題がありうることを想定して、教育システムは逃げ道がある簡素なものがよいと思うのです。
人事には交流以外に重要な機能があります。
医師の評価です。
大学は教授選挙という形で、評価が組み込まれています。
教授は医局の中心であり、そのポストを医局で保持しようとします。
そのために、医局は有能な医局員を若いうちから選別し、業績をあげさせます。
こうした評価が一般病院にはありません。
個々の医師には、どうしても能力差があります。
「等しきは等しく、不等なるものは不等に扱わるべし」というアリストテレスの正義についての命題の後半部分は、日本人の最も不得意な部分です。
病院は、構成員の生存と平等を求める運命共同体ではないのです。
能力の差に対しては、それなりに冷徹に評価しなくてはなりません。
評価を含む人事制度を設けて、大学の医局による人事制度と並列で動かすとよいと思っています。
これにはそれなりの権威が必要であり、民間の人材紹介業者では無理です。
医局という狭い枠組にとらわれない交流、医師個人の能力に対する正当な評価、適切な人事によって、有望な医師を、若いときから重要なポストにつけて責任を負わせなければなりません。
ポストと責任が、彼らをすばらしい指導者に育てます。
これは、医療界全体の共同作業であるべきです。
我々の努力を紹介します。
〇二年に、東京の基幹六病院(NTT東日本関東病院、痛研附属病院、国立がんセンター中央病院、聖路加国際病院、虎の門病院、都立駒込病院)の泌尿器科が、共同で泌尿器科医を育成するために東京泌尿器科研修協議会を結成し、活動を開始しました。
〇五年、千葉県にある亀田総合病院、旭中央病院が加わりました。
共同で専門医を育てることが目的で、問題のある症例の検討会、手術の徹底比較や相互の手術見学、講義などを行っています。
それぞれ大学病院を凌駕する症例があり、代表者の出自は多様です。
徐々にですが、人事交流も始まっている。
東京泌尿器科研修協議会は大学の医局と対立するものではありません。
気鋭の教授と協力しながら、数十年先を見越した新たな医師育成システムを構築していきたいと考えています。
医局は過去には戻れない大学病院の院長と話すと、一様に、新臨床研修制度をとんでもない制度だと酷評します。
このために、医局員が不足し、地域の病院に医師が派遣できず、地域医療が崩壊しかかっているという。
無邪気に、自らの過去を反省することもなく、昔のように、大学の卒業生がその大学に残るように戻せと主張します。
私はこれには賛同できません。
大学の医局にゆだねられていた医師の研修には大きな問題がありました。
新臨床研修制度に反対する十分な論拠を大学側は提示できていない。
医師が不足しているのは、日本の単位人口あたり医師数そのものがOECD諸国の約三分の二であること、〇四、〇五年と、二年間分の卒業生が医局に供給されなかったこと、医師が、大病院から中小病院、さらに開業にシフトしていること、単位患者あたりの医師の業務が多くなったことなどによります。
足りなくなっているのは、大学だけではありません。
そもそも、今回の研修制度がなくても、卒業した大学以外の医局に入ることを妨げる制度はありませんでした。
医局そのものが法律に基づく組織ではないので、入局を制度として縛ることなどできようがありません。
医局は心の中の制度でした。
昔も、皆で医局はないと思えば、医局制度は存在しなかったのです。
昔に戻すことは、多くの医師が医局がないと思っているとすれば、日本国憲法の下では不可能です。
一般病院での研修を廃止したとしても(そのようなことは現時点では政治的に不可能ですが)、大学間の格差を合法的に埋めるのは、多額の奨学金で縛るというような方法しかなく、大勢を動かすことは不可能です。
現在でも、大学に比べて、一般病院には力がありません。
若い医師は自分の能力を伸ばすことを切望しています。
すばらしい病院でも、年代の近い競争相手が地歩を固めていれば、能力を伸ばすのに障害になります。
高度な医療を提供している病院はそう多いものではありません。
最先端の医療を提供していても、一般病院は、制度的に多くの医師を保持できません。
二年間は市中病院にでても、三年目以後、医局に戻らざるを得ないのではないでしょうか。
私は大学の現状を心配しています。
一つは、医師にとっての教授職の魅力の低下です。
低い給与、権威の喪失、大学病院の組織上の欠陥から、教授職に魅力がなくなりました。
優秀な医師が教授職を目指さなくなると、大学病院の機能は一気に低下します。
一方、一般病院には大学病院の機能を引き受けるための、覚悟、財政的余裕、制度的余裕がありません。
個人的に年賀状をやり取りしている臨床系の教授が、数名います。
〇七年正月、そのうち、二人の教授が定年前に教授職を辞めると書いてきました。
心配の二つ目は、大学からの提案の乏しさです。
もう過去に戻ることはできません。
新たな提案が必要です。
インターネット上の医師の意見をみると、医局がいかに嫌われているかよく分かります。
私の知っている若い泌尿器科医が、ある医局を辞めようとして、つるし上げられ、精神的に追い詰められました。
医局を辞めた医師の就職を、その医局が邪魔するのを見聞したこともあります。
ネット上には医局を辞める交渉を、弁護士に頼むというブラックジョークのような話まででています。
このような状況をそのままにして、以前のように、卒業生がその大学に残るようにせよと、制度上無理な主張をしても、社会に受け入れられるはずもありません。
やるべきは、大学病院の魅力を高める努力です。

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